令和2年5月1日、奇遇ですが、人生の転換期かも

中国が私を変えてくらた。
中国が私を変えてくれた。

令和元年5月1日、それは私の中国動画デビューの日でした。

2019年5月1日、それは日本にとって元号が変わる節目の日でした。私はこの時、パン工場に勤めながら、何か新しい事を始めたいな。いや、何か始めなければならないと、わけもわからず意気込んでいたことを思い出しました。

加工前の画像
PhotoShop加工前の画像

パン工場ではPUBGモバイルというスマホゲームが流行していました。昼休みの1時間に社員で遊んでいたのです。今はどうなっているかわかりませんが、当時のユーザーは中国人と韓国人がたくさん遊んでいました。よく中国語で話しかけられていたの「シェイシェイ」「ニーハオ」となんとなく会話を始めたのが、中国動画デビューのきっかけでした。

その後、休憩時間の1時間はスマホでゲームをするのではなく、スマホで中国語の勉強をし始めました。結果として、パン工場で働きながらHSK1級を合格し、上海旅行も2回行くことができました。その後は中国人にご飯を奢ってもらったり、イベントのチケットを買ってもらったり、中国には感謝してもしきれません。

令和元年五月一日。中国のネット障壁を掻い潜り、なんとか動画投稿ができました。日本人がYouTubeに動画を投稿するより、5倍くらいは苦戦しました。そもそも会員登録するために、ネットモラルを問われるテストや、ネットスラングに関する問題、通報するときの手順を応える問題などが中国語で出され、一定点数を獲得しないと動画投稿用のIDすらもらえない状況でした。

この問題、さらにやっかいなのが、テキスト表示されているはずなのにコピペができないのです。つまりGoogle翻訳が使えませんでした。一つ一つの文字を日本語で探して翻訳したり、気合で解読していたのを覚えています。

そして、なんとくテストをクリアし、その事を中国版ツイッターで報告すると「中国人でもわからない問題もあるのによく出来たな」と称賛されるほどで、すごい達成感を味わいました。

動画再生数が増えたのは投稿してから一週間後

私も最初の動画の再生数は微々たるものでした。ですが、一週間後突然視聴回数が2万回を突破、あれよあれよと10万再生を突破したのでした。

はっきりとした原因はわかりませんが、私の分析だと、日本人が中国の動画サイトに動画を投稿しているだけで、それなりの再生数が稼げます。中国では外国人が人気だったりします。日本人というだけで、アニメやゲームの話題で声をかけられることもあります。中国の動画サイトは、YouTubeと同じように、再生数が増えると収益化できたりします。

すぐに収益化するための銀行口座登録だとか、色々と公式からメッセージが来たのを覚えています。動画投稿で収益化するまでの話などは、またいつか書きます。

そういう衝撃があった令和元年は、中国のおかげで私の人生が大幅に転換した年となりました。

令和2年5月1日、私は世田谷区民になります。

本当に奇遇なのですが、5月1日に私は東京都世田谷区に引越しをします。もともと茨城県の田舎で生活していたので、ワクワクが止まりません!

大学時代には大阪で寮生活をしたり、陶芸家時代は風呂無し物件や、四畳半物件などで生活して来ましたが、東京で長く生活するのは人生初です。

まさか1年前に動画投稿を始めてから、こんな事になるなんて夢にも思っていませんでした。コロナショックもそうですが、改めて未来は予測不可能だなと感じています。ですが、主体的に考え、一歩先に進むことを恐れずに行動することで、より理想に近い未来に進んでいるのかなと感じます。

令和3年5月1日、どうなっているのか?

令和元年に中国語を勉強し始めた時、私はもっと時間から自由になりたいと考えていました。コロナウイルスの影響により、移動制限が厳しくなり窮屈な生活が強いられていますが、これは仕方のない事です。

私の予想では、来年の5月1日もコロナに苦しめられている生活に変わりはないと考えています。コロナが終息するかどうかに関わらず、私は今やるべきことを丁寧に一つひとつこなしていくだけだと考えています。

そうすることで、また一歩理想の未来に近づけるのだと考えて居ます。コロナで何かと大変な日々が続いていますが、頑張りましょう。

この記事を書いた人

小幡 知弘

1990年茨城県神栖市生まれ
2013年大阪芸術大学卒業
Python×Webエンジニア