人生の行き詰まり、そんな時は引越しも視野に
安定した生活を求めてしまうと、部屋の荷物が多くなるだけではなく、人間関係も変化がなくなり、身動きがとれなくなってしまいます。また新しい画期的なアイデアが見つかりづらくなるものです。私の人生を振り返ってみると、5回の引越しを経験しましたが、そのたびに新しい出会いと別れがあり、人生に彩りを与えてくれていたと思います。そして新しいアイデアで行動もしてきました。今回は、何か新しい事を始めたいあなたに、今までの引越しで私が得たものと、今回の引越しについてお話したいと思います。
5回の引越しをした内訳を紹介
先日2020年5月1日に、会社を辞めて地元茨城から東京に引越しをしたので、これまでの引越し経験をメモ。
初の引越し先は、学生寮でした。
1回目、大学進学のため大阪へ引越しこの時の引越し先は、大学の寮で月2万円、大学まで徒歩20分ほどだった記憶です。住んでいる学生の数が少なかったものの、未来の話をしたり学生だからこそできたゆとりある時間でした。
この寮では様々な出会いと別れがありました。学生寮なので、1年に1回は大きな人の入れ替わりがありました。なかでも4年生が寮を去る姿を見ることで、自分の卒業する未来が具体的に見えていたと思います。同期が同じ寮に住んでいるとわかり、毎晩のように鍋をしたり麻雀をしたり、同人誌を作ってみたり、その同期の友達が同じ寮だったり・・・とにかく友達の輪が広がったのは学生寮にいたおかげだったと感じています。
一般向けのアパートやマンションでは味わえない、貴重な時間があります。私は学生には必ず学生寮を一度は寮を経験することをお薦めします。同じ学生だとは思えないような寮の使い方をする人を見て、やはり世間には色んな人がいるのだなぁと気が付かせてもらえるのも学生寮の魅力だと私は考えます。
大学生ではない社会人などが学生寮に転居するには大矢さんの同意などが必要ですが、大抵は断られます。私は社会人になってから学生寮に入ろうとしたことがありますが、全て断られました。
2回目、風呂無しの長屋で凍える
私は大学を卒業する以前から陶芸家の弟子として活動をしていました。卒業以前は寮から通っていたので、アルバイトの様な感覚でしたが、卒業後に師匠の家から徒歩3秒の家に引越してからは生活が大きく変わりました。
駅から徒歩5分、風呂、ガス無し。雨漏り、隙間風のひどい長屋に引っ越しました。この時初めて、長屋という言葉を知りました。この長屋は大学の先輩が丁度抜けるタイミングで入れ替わりで入ることができました。なので、仲介業者に手数料を払ったりと余計な費用は一切ゼロでした。月2万円だったと思います。8畳と3畳の部屋があり、8畳の部屋は作品などを置くスペースとして物置になり、3畳のスペースにパソコン、机、座椅子で生活していました。
風呂は徒歩3秒の師匠の家で入らせて貰っていました。髪の毛も師匠に切ってもらっていたりして、不自由を感じない生活をしていたと思います。ある程度、部屋も汚く土間があったりしたのでペインティングや外で木材をカットしたりするアトリエとしては良い環境でした。家賃は隣に住む大家さんに手渡しで払っていました。関係性は淡白で、ほとんど何も話したことがありませんでした。
2回目の引越しでは学生寮とは全く違い、人とのコミュニケーションがなくなり孤独との闘いがありました。今でもそうですが、一人で生きていくことほど大変なことはないなぁと思います。
3回目、横浜駅から徒歩20分の日本家屋シェアハウス
3回目の引越しは師匠が引っ越すことになり、ついていくかたちで行いました。大学寮から持ってきた冷蔵庫や電子レンジ、思い出のギターなどは、全て廃棄物処理業者に有料で引き払いました。当時は移動手段が電車か師匠の自転車しかなかったのですが、もう少し良い処分方法があったのではないかと今では思います。引越し先が4畳半だったので、作品や服なども大量に捨てました。
横浜駅から徒歩20分に戦後初期に建てられたという日本家屋に間借りして住むことになりました。こちらも仲介業者などは介さず、師匠と貸主さんとのつながりで実現できた好物件でした。すでに建築関係の方々が間借りしていたところの物置に私が入ったことで、シェアハウスの様な形になりました。
シェアハウスの良い所は、人とのコミュニケーションが活発になることです。孤独との闘いはなくなり様々な出会いがありました。最寄り駅が横浜駅ということもあり、関東圏の人とたくさん関われるようになったのは大きな喜びでした。そしてシェアハウスは、冷蔵庫や電子レンジなど引越しして必要になる最低限の家電がすでにあることがメリットの一つだと思います。短期集中的に何かを成し遂げたいと考えて居る人にとって、引越しをして、電気、ガス、水道の手続き、最初の家電の準備などで時間を取られるのは辛いところです。
私も横浜のシェアハウスでは、引越し後すぐに作業に取り掛かることができたので、短期間でしたが、陶芸教室を開いてみたりと濃密な時間を過ごせました。
4回目、実家に出戻り絶望感
引越し4回目。あまり嬉しい結果ではありませんが、陶芸家の道をあきらめて実家に戻る事を決めました。この時に家に持って帰ったのはパソコンと服と布団くらいだったと思います。とても身軽な引越しでした。引越しと言うよりも、ただ家に戻ってきたような感覚になっていました。
大学生になり家を出て、何も得ずに実家に戻った。そんな虚無感があったことを覚えています。しかし、実家に戻った次の日には会社員として出社する事が決まっていたので、そちらの期待の方が大きかったと思います。
実家の環境は、よくも悪くも生活しやすい環境でした。孤独感もなく、過度なコミュニケーション疲れもない。しかし、会社で働く以外に新しい刺激はありませんでした。ある意味、一番安定的に生活をしていたと思います。ある程度家にお金を支払うことになったとしても、家賃を支払うよりも気が楽です。
5回目、東京の一室での新生活
5回目の引越しにして、ついに初めて仲介業者を利用しました。まず驚いたのが、初期費用の高さでした。数十万の大金を払うことに最初躊躇しました。今まで家賃2万の物件にしか住んだことが無い私にとって、なぜ家に住むだけなのに数十万も支払わなくてはならないのか理解できませんでした。
しかし、この大金を支払う事で腹をくくることができ部分もあります。しっかりと稼ぎ家賃を支払う必要がありのはもちろんのこと、もう安易に引越しはできません。私にとってこれほどまでに大きな環境の変化は今までなかったように感じます。
幸いなことに、東京への引越しには頼もしい協力者がいました。ここのスーパーはこれが安い、あっちにはドン・キホーテがある、こっちの駅に行けばこんなお店がある、など東京について教えて貰える人がいたことで、スムーズに環境を変えることができました。感謝しています。
ネットの情報は万能ではない
今回は環境の変化について考えてきましたが、私の引越しを思い返してみて、引越しをした後にすぐにネットの情報を見て解決できたことはあまりありません。地元のスーパーの場所や、駅の場所は地図として表示されますが、実際に歩くとどれくらいつかれるのか、どんな人がそのスーパーを利用しているのかなど、体感して初めてわかる情報はネットにはあがっていません。
Web業界は特にネットで検索して、わからないことを自己解決できるようになることが重要視されますが、スマホを持たずに生きていけるような能力も重要だと思います。隣の先輩がネットにはない情報を教えてくれるかもしれませんし、通りすがりの人が裏道を教えてくれるかもしれません。ついついスマホに頼りがちな現代ですが、周りを見渡した方が早いこともたたることに気が付きます。
環境が変われば人生が変わる
住む場所が変われば、当然あなたの周りに住んでいる人も以前とは別な人です。そこでは新しい人との出会いがあるかもしれません。その出会いが一生の友達になるかもしれませんし、生涯のパートナーになるかもしれません。
引越しをすることで仲介手数料などで大金を失うかもしれませんが、その分だけ新しい何かを手に入れられるかもしれません。新しい可能性はどこにでも転がっていますが、それを見つけられるかは自分次第だなぁと改めて感じました。私の新しい環境での新しい生活、少しでも応援して頂ければ幸いです(笑