みなさんこんにちは。今はサーバーサイドエンジニアの仕事をしている小幡です。
私はこれまで陶芸家、古物商会社員、パン工場三交替会社員、大手企業と転職をしてきて、30歳を迎えて東京に引越しノマド的に暮らせないかと模索し始めてそろそろ1年が経とうかとしています。
時が経つのは早いものですが、特にこの1年は異常に早かったような気がします。色んな出会いや別れ、お仕事経験をさせて頂いた怒涛の1年になったかなと思います。
人生初の祝日も休みな日々
今は会社員として、完全週休二日で人生初の祝日もお休みを頂いており、自分史上もっとも休みの多い働き方をしているのかなとも思っています。
感謝してもしきれません。
如何にしてエンジニアになったのか?
基本的には独学だったと思いますが、色んな所に顔を出したりしてたくさんの人に教えて貰ったと思うので、独ではないのかもしれません。
学校的にお金を大きく使った記憶は陶芸時代に支払ったオンライン授業の費用だと思います。
30歳を過ぎて思うのは、親のスネをかじり倒した人生だったと思いますし、恩を感じながらも、最後まで親不孝な人間なんだろうなと感じています。
今は少しでも親孝行ができればと考えている次第です(だからといって、何かをしているわけではない)
話が脱線しました。さらに大学時代にまで話をさかのぼると、私は学生時代に友達とアプリ開発をしようとしたことがあります。
Object-Cでテトリスが作れない
当時の事はあまり覚えていませんが、大学に入って私は柔道部に入り、19歳になった夏休みにあった合宿中の夜中に、宿舎を逃げ出すということがあり、その後、剣道部の友達と「めっちゃ面白いゲーム」を作ろうという話になりました。
そこで買った参考書が「Object-Cでアプリ開発」的な本だったことを覚えています。
結論から言うと、開発はほとんどできず、もちろんアプリ公開もできませんでした。
まずコードを一行も書いたことも無い大学生には、レベルが高すぎた上に、パソコンはWindowsでスマホは持っていないという状況だったと思います。
浅はかな憧れで、なんとなくスマホブームだからアプリが作りたい!みたいなノリだったと思いますが、その時にエンジニアっていう職業は雲の上の存在だと思いました。
先輩がWebサイトを作る
その後は専攻である陶芸に熱中したり、漫画制作に熱中して講談社の編集の人に漫画を見せて「君、陶芸に詳しいけどなんで?」と漫画以外の所でアピールしてみたり(情勢漫画の編集の人で「そもそもウチでは無理」とバッサリ切られる)、吹奏楽部に入って宇宙戦艦ヤマトブームが来たりと、とにかく好きな事を好きなだけやっている人間でした。
漫画サークルの部室で徹夜で麻雀をしていた時に、宇宙戦艦ヤマトのテーマを永遠と歌っていたのを覚えています。
今思えば、よくこんな人間と遊んでくれていたなぁ、すごいな友人。
そんな変わった漫画サークルの先輩が自身のオリジナルWebサイトを制作していて衝撃を受けました。しかもそのWebサイトは利用者がどんどん増えて広告集もすごいことになっていると聞いた私は、再びパソコンの前に座り、HTML、CSS、PHPの勉強をスタートさせました。
アート投稿SNSを作成する
以前アプリを作ろうとした時の失敗をいかし、「小さく作る」を目標にしました。
とりあえず、HTMLとCSSで自己紹介サイトを完成させました。
当時の自分にとっては、サーバ代を支払ったり、自分から何かを発信している感がとても楽しかった記憶があります。
ニコニコ動画にも料理動画を作ってアップしていた記憶があります。
時が経つのは早いもので、既に卒業が目の前だったと思います。
2月・3月くらいに、寮(家賃2万円くらい)に引きこもって、1日中サイト制作か、アニメ「遊戯王」と「氷菓」や「シュタインズゲート」をひたすらみる日々でした。とにかくアニメとニコニコ動画をひたすらみていました。(結局何も作っていない)
そして、卒業間際になりやっと、会員登録やら、画像投稿やらができるサイトができました。
投稿した画像をサムネイルサイズに縮小したり、プロフィールに紐づけてMySQLで管理できるようにしたりと、よく独学でここまでやったなぁと白目をむいていた様なきがします。
セキュリティに不安を覚える
それなりに形になってきたサイトでしたが、陶芸家の弟子になることや、セキュリティの不安を感じて、数日で閉鎖させた記憶があります。
PHPやMySQLを完全に独学で完璧に制作するのは不可能に思えました。
私より優れたエンジニアは山のようにいるだろうと考え、そんな人からみたら私のサイトはセキュリティーホールの山だろうと思っていました。
今でも自分で何かを作る時はセキュリティの事ばかりを気にしてしまいます。
専攻の陶芸の製作をしていても、創造よりも破壊の方が簡単であったことなどが、セキュリティに対する不安を大きくしたのかもしれません。何を言っているのか、よくわかりませんね。
Webサイト制作のバイトをする
24歳の頃、陶芸家の弟子をしていて、お金が必要だった私は大阪のWebサイト制作の会社でアルバイトをさせて貰います。
残念ながら横浜に拠点を移動させる関係で半年ほどで辞めることになってしまいましたが、このとき、初めてAdobe製品を仕事で使いました。
漫画サークル時代に漫画を描くのに使ってみたり、色々な経験が少し活かせるようになってきたのかなと思ったのでした。
しばらく会社員生活を楽しむ
その後はしばらく会社員生活を楽しむことになります。
ありがたいことに、古物商の仕事ではネット通販の仕事が多くあったので、とても勉強になりました。
ここでCSVの操作をたくさんさせてもらったのは、大きな財産になりました。
2017年くらいのことですが、CSVは今でも出会うことが多いです。
ネット通販での作業もちょっと大きなお店になるとよく使います。
2019年頃になり、アンドロイドアプリを作ってみたり(また公開まではできず)、YouTube的な動画サイトに動画投稿を積極的にしてみたり、自己紹介Webサイト的なものを作ってみたりと、とにかく家にいるときはパソコンの前にいました。
パソコンを触れない人もたくさんいる
会社員時代に学んだことの1つに、パソコンをまったく触れない人もたくさんいるんだなぁということです。
ちょっとCSVが触れたり、Excelが触れたり、動画編集ができたり、Webサイトが作れたりするだけで、英雄扱いをしてもらえる場面もあります。
ずっと立ち仕事で体力消耗する仕事でも、パソコン仕事を口実に休憩出来る事は多々ありました。
こんなレベルでも人の役に立てるのです。
スキルを発揮する場所が重要
という経験もあり、「こんな私でも東京でフリーランスできる」という意味不明な自身が私の中にはありました。
実際問題、緊急事態宣言が発令された状況でも、東京ならいくらでも仕事はありました。
値段や条件を選ばなければいくらでも仕事はあるものです。
問題は、その仕事のレベルです。
私の大きな過ちは、激戦区に全力投球してしまったことです。
どういうことかというと、変に自信があった私は、それなりの企業でも仕事貰えるだろう。と思い込んでいたことです。渋谷や新宿などでそれなりに面談的なことをして頂きました。
結論から言うと、激戦区では仕事はもらえませんでした。
やはり競争相手もたくさんいたのだと思います。面接ではあまり悪くない印象だった仕事からもあっさり断られる結果となりました。
パソコン仕事が苦手な人を助けるという仕事
そこで私がたどり着いたのは、パソコン仕事が苦手な人を助けるという仕事でした。中学2年生の情報の授業でチャットに出会ってから、現在に至るまで、ずっとパソコンと対話を続けていた私は、パソコン操作において、それなりにできるというレベルでしたが、それでも全くパソコン作業ができないという人にとっては、働き手として認識して頂けたのかなと思います。
これらのお仕事を頂き、なんとかそれっぽい生活をすることができるようになりました。
わからない事を、調べて理解する
その後、今のエンジニア職を頂くに至るわけですが、それまでは本当に行き当たりばったりで、これかもらそこは変わらないのかなと思います。
エンジニア職に就くまではPythonの勉強をまったくしたことがなかった私ですが、会社に入ってから学ぶという行き当たりばったりっぷりが良かったと思います。
とにかく、私の場合は、「わからない事が見つかったら前進」それを調べてわかるようにすれば良いという感覚でした。
HTMLで画像を表示させたいとして、その方法がわからなかったら、調べて実践して、表示された成功。一歩前進。
その画像をスライドショーにしたいと思ったら、また調べてスライドショーにできるようになる。
そしたらクライアントはどのレベルまでの技術を欲しているからを考えて、もう少し面白い画像の表示方法を求めていると思ったら、ちょっとかっこいいWebサイトを眺めてみる。
クライアントに要求されてから学ぶ
クライアントにこういうことがしたいと、要求を受けてから勉強することが多い気がします。
本当は様々な知識を蓄えておくことが良いのだと思いますが、android開発をしていて思うのは、HTTPを使いたいだけだから、レイアウトとかは学ばなくても良いのでスキップする。という方法で学習を進めています。
やりたいことがわかる、問題が見つかる。問題を解決する、という流れが学習の最短ルートなのかなと思います。
というより、全ての技術を網羅することができない。と言う方が正しいかもしれません。
HTML・CSSにおいても、全く使わないタグが多すぎます。これはよく使うなっていうタグを10個くらい覚えれば、使い方は調べながら制作すれば良いのです。というポジティブ思考で生きています。
既に活用されている技術であれば再現可能な場合が多いと思います。
まとめ 必要とされているレベルの職にさっさと就く
私は独学でスキルを磨くよりも、必要とされているレベルの職にさっさと就いて、その仕事の中で日々ちょっとだけ新しい技術を自分の物にするというのが、自分の成長法であると考えて居ます。
仕事を始めれば、自分のモチベーションと関係なく、技術を学ばなければ仕事ができませんので、そういう意味でも、独学が続くかない(自分のように途中で飽きてしまったりする)場合でも、さっさと職に就くことが良いのかなと思います。
それは目標とする仕事とは違うかもしれませんが、常に自分の目標を明確にしていれば良いと感じます。
殴り書きになりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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